宝石の国10巻感想 人間の本能的欲求から考えるフォスが人望を獲得できなかった要因
宝石の国は何かもう語るまでもないことですが凄い作品である。キャラや設定の魅力、綿密な伏線、展開…全てが凄まじい。様々な観点から考察できる本当に素晴らしい作品だと思うけど、(先生のインタビュー(https://ent.smt.docomo.ne.jp/article/12982)を読んだときの衝撃もあり、)私は「役割を求めることは人間の本能的欲求の一つである」という観点から何でフォスがこうなっちゃったのかを読み解けるのではないかと考えた。
主に下記2点である。
*勝手に使命感に燃えて、目的達成を最優先してしまった
*他の子に重要な役割を付与しなかった(本気で頼ろうとしなかった?)
宝石たちは勿論にんげんではないのだけど、これも周知のことかと思うが、人の主に綺麗でない部分を嫌というほど描いている。ということで前述した人間の本能的欲求というテーマで考えます。
■フォスも役割に酔ったのでは?
そもそもフォスが月まで行った大きな目的の一つは①アンタークの再構築だったんじゃないかと思う。しかしながら、②もう一つの大きな目的だった金剛先生と月人との関係を明らかにする、ことから③歪みに歪みまくった現状を知る。
この段階を経た後、その現状の是正を勝手に役割と捉えて使命感を抱いてしまったのではないか。仲間を奪われる悲しみの連鎖の阻止、および、月人の悲願。大いに酔うに相応しい役割だと思う。そして、当初のアンタークの再構築という目的の道筋は見えないまま、使命感を覚えてしまった役割の遂行を最優先させてしまう。
■役割は情緒的感情を麻痺させる=酔う
適当に役割に酔ったって書いたけどそれってつまりどういうことやねん。
これは持論(というか出典を忘れた)だが、使命感や役割は人としての情緒的感情を麻痺させると考えている。正義感は人を悪と捉えたものを傷つけることを厭わなくなる。戦時に非人道的兵器の開発に邁進した科学者たちとか。あるいは、SNSの炎上とか現代社会などでも見られる現象である。
本来人が傷ついているのを見ると悲しくなっちゃうはずである。そういった情緒的感情を麻痺させる効果が「役割」「使命感」にはあると考える。これを役割に酔う、と表現してみる。
フォスも役割に酔っていたから、アンタークに対する感情が麻痺した。失った宝石たちを取り戻せるかもしれないという大いなる役割があったから、カンゴームの警告の通り、今ある子たちを危険に晒すことに鈍感になった。当初金剛先生を騙す選択をしたことも、あるいは疑い始めたときから情緒的感情を後回しにさせてしまってたのかも。
情緒的感情にのみ従うことが正しいとは思わないが、感情と使命感、どちらも併せて考えることが冷静な判断には必要なのではないか。どちらかにのみ突き動かされているのであれば、立ち返る必要があると考えます。フォスのように疲れ果てる前に。
■フォスの求心力がいまいちだった原因
結局フォスに無条件に協力してくれるアガペーの持ち主はいなかったようです。悲しい。まあ人間そういうものですよね。そういう相手一人はいるものでしょ…悲しすぎる…と思った貴方はとっても恵まれていると思います。大切にしてね。
結局フォスを一番に思ってくれる宝石がいなかったのも、本記事のテーマ「役割を求めることは人間の本能的欲求の一つである」、という観点から読み解いてみる。(前述のカンゴームが警告した内容も大いにあるがそれは作中で明言されてるのでまあ…!)
フォスは使命感に酔った結果、その役割を一人で果たそうとしたのではないか。現状の関係性の打破という目的の重要な局面でこそ、自分だけで考えて、実行において足りない部分だけを他の宝石の気持ちや戦闘力等を利用する。協力というつもりだったのかもしれないけど、多分利用しただけ。フォスが勝手に使命感を抱いた「月人・金剛先生・宝石の関係是正(現状打破)、および宝石たちの再構築」という役割において、誰にも重要な役割を付与しなかったことが失敗の原因の一つではないか。
頼まれる側も、やはり「役割」を求めるものであり、目的のための重要な役割を本気で求められおらずただ利用されただけのようなやり方に好感を持つことは難しいのかもしれない。
所謂カリスマと呼ばれる人たちはこの辺りを弁えているのような気がする。フォスは…そうではなかったという…ことかな…。かなしいよーーー。
■月に馴染む宝石たちと文明の発展について
ちょっと話が変わるけど、初歩的な文明の発達は平和な時に行われるものである。
月人から定期的に襲われていた時代を「戦時」と捉えると。敵がいるということは、それに対処するための「役割」があるということ。例外こそあれ、多くの宝石たちは各々月人という敵への対処に関する役割を担っていた。
一方、平和な時、敵がいないとき、役割を求める人間の本能はどこに向かうのか。一番の受け皿は文明の発展ではないか。月に馴染んだ宝石たちは、文明の発展(科学進歩?)のための役割がそれぞれにあって楽しそーである。やりがいってやつである。
また、逆に、戦時が続いていた「学校時代」は文明の発展の凍結にはうってつけの環境だったとも考えられる。月人が悲願を達成せんとする無意味な揺さぶりと、金剛先生の文明を発展させたくない意思は、もしかしたら皮肉にも噛み合っていたのかもしれない。
■役割と文明の発展(おまけの持論)
人間個人は役割を求めるもの。その人間個人の欲求によって、人間という集団は文明の発展に向かっていく(戦時を除く)、というのが本能的な方向であるのではないかと考えている。(なんかの哲学とかで否定されてたらスミマセン。)
以上、そんな人間としての欲求による様々な捻じれを残酷なまでに描いている宝石の国はすごいぞって話です。